「予備校に通っているから、なんとかなるだろう」「この教師のいう通りにやれば、なんとかしてくれるだろう」「いよいよヤバくなっても、運が強いオレなら本番で逆転できるだろう」大学受験生にありかちな「他力本願」に、こんな考え方がある。考え方というよりも、感じ方や感覚といったほうが正確かもしれない。そうやって楽観的な感覚でいたほうが、余計な不安にとらわれずに勉強に集中できる、というのならまだいい。しかし、それによって勉強に手がつかない状態になったり、いっこうに努力しない状態が続いたりするのがマズいわけである。というのも、そこには、「自分がある」という感覚が抜け落ちてしまう危険があるからなのだ。日本語ではよく、「自分がない」という表現を使うことがある。人の発言にすぐ影響されてコロコロ意見を変えてしまう自分に対して、「オレは主体性がないなあ」という意味で「自分がない」などといったりする。「自分がない」というのは、「動いているのは、ほかでもない自分だ」という感覚が希薄な状態だといっていいだろう。たとえば、定期テストがヒドい点で返ってきたとする。まず、「自分がある」人を考えてみる。この場合は、たとえば、「アッチャー、こんな点を取っちまった自分が情けない」という反応をしてくるだろう。「結果に対して原因を作っているのは、ほかでもない自分だ」という強烈な意識があるから、「情けない」という感情を素直に自分に向けられる。そして、「責任を取るのも自分だ」という感覚があるから、「よーし、この次はがんばるぜ!」という気持ちの切り換えもすぐにできる。